祖父の記憶-葡萄-

毎年この季節になると母親から葡萄が送られてくる。
祖父が定年退職後、手伝いをしていた葡萄農園の葡萄だ。

毎年忙しく働いていたので、なかなか最後まで食べきれず、冷凍庫に入れたのを忘れてしまったり傷んでしまっていたりした。今年は仕事を辞め家にいるので、全て最後まで食べきった。
もちろん仕事を辞めたことは、オット以外誰も知らない。

会社を辞め、何もせず家にいると考え事をする時間がたくさんある。
葡萄を啜りながら、ふと祖父のことを思い出す。

祖父は親の愛情を知らず育った人だった。
様々な小説やテレビなどは、終戦記念日に向け母親の愛、家族の絆といったものを賛美するものをこぞって出してくる。

現在よりも昔の方が親の愛がより強かった、なんてことは本当はなかったのではないかと思う。

曾祖父と曾祖母は自分たちで働かず、子どもを売って暮らしていたと聞いた。
祖父も早いうちから、遠くの農園に売られてずっと働いていた。
一度辛くて、長い長い距離を走って逃げ帰ったことがあったが、家に返ると親に鉈を投げつけられ、無理矢理元の農園に戻されたという。

農園で働いていたことで、農業についての知識と技術は身に付いた。
元々細々した仕事や力仕事が好きだった祖父は、ある時その腕を買われて農業高校の教員になった。
祖母と結婚し、子どもも生まれ、家を買い、傍目に幸せを描いたような人生を送っていても、祖父は過去にとらわれていた。

祖父は酒を飲むと大体泣いた。泣く理由は二つで、一つは親に愛されなかったこと。
もう曾祖父や曾祖母は早いうちに亡くなり、私も写真でしか見たことがない。
祖父は何歳になっても、どれほど老いて衰えて行っても、親が自分を愛さなかったことをずっとずっと忘れなかった。

もう一つは背が低過ぎて徴兵されなかったこと。
自分がいかに力があって頑強であるかをずっと語っていた。でも背が低かったので、本当に戦争の末期に予備兵としてようやく徴兵されたけど、そのまま戦争が終わり戻って来た。ご飯を食べさせてもらえず、労働を続けた祖父は身長が 140cm ぐらいしかなかった。

機嫌の良いときの祖父は、竹とんぼ、竹馬、釣り竿、竹を自由に加工して何でも作ってくれた。
しかし、一度過去を思い出したときの祖父は別人のように手が付けられなかった。今いる家族の愛情を試すように暴言を吐いたり、俺が働かなければお前達は死ぬんだぞと言って脅したりした。

実際、祖父には昔、祖母の前に内縁の妻がいた。しかしあまりにも祖父が酷過ぎたので、子どもを連れていなくなってしまったという。だから父には腹違いの姉がいるはずだった。

やがて年老いるとともに、次第に祖父の状況は酷くなっていった。私が二つ覚えているのが、顔中血まみれの祖父が手に刃物を持って「俺は大切にされたかっただけなんだ」と呟いて倒れこんだところ。

もう一つは赤ちゃんのように澄んだ目で、私たちの誰も知らないという顔つきで病院のベッドに寝ていたところだ。

こうして毎年、葡萄を食べながら祖父のことを思い出す。
祖父がもしも親の子どもに対しての愛情なんて幻想だって気づいてたらと、思うがそれ自体私も過去にとらわれていると言えるのかもしれない。


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