なぜ小説なのか?【カズオ・イシグロの文学白熱教室を見て】

先日NHKでやっていたカズオ・イシグロ 文学白熱教室の完全版を昨夜録画して見てみた。メモを取りながら見たわけではないので、ちょっと曖昧な表現や間違ってるところがあるかもしれませんが、ご容赦を。

もともとイシグロ氏が小説を書き始めたのは、記憶の中にある日本を、長崎を書き留めておくためだったという。
日本で生まれ、その後5歳ぐらいでイギリスに渡り、氏の中での日本は記憶の中にある日本が全てだった。

最初の小説『遠い山なみの光』原題:A Pale View of Hills を書いた時、氏は資料を調べたりすることなく、記憶を頼りに書いて行ったという。それ以降、氏の作品は事実より、語り手の主観に重きを置いた独特の書かれ方がされるようになった。

よく小説は Fact(事実)+ feeling(感情) で大きい F と小さい f などと言われる。
語り手の feeling から Fact を語ることにより、不思議な揺らぎが生まれるのかもしれない。

有名な「日の名残」を書いた時に、氏は小説は舞台も設定も自由に置き換えが効くと言うことに気がついた。だからこそ書いてみてもしっくり行かず何回も舞台や設定を考え直したり、ロケハンに時間を費やしたりなどもよく起きるという。

物語という、世界を作り上げる時そこには一つ重要な真実をいれることが必要だと氏は言っていた。氏は敢えて小説を書くことを、ただ嘘という風に呼ばなかった。

氏にとって、小説を書くことは自分の中にある記憶を書き留めることから始まった。
そして最終的に他者にこういうことがあり、私はこういうことを考えました、どうですか?という問いかけなのではないかと締めくくっていた。

私も書き留めておきたい記憶がある。
ここに書くかどうかはわからないが、やがて消えてしまう前に書き残したい。

この記事へのコメント