性善説と性悪説

良く性善説と性悪説と言って、人間が根っこの部分で悪いものか善いものかという議論が昔からある。

私個人の勝手な考えだけど、人間は単体でいるときは性善説が適用できるが、集団でいる場合、性悪説のが力を持つのではないかと思う。

もし砂漠に人が倒れてたら、人は無意識に助けようと駆け寄るだろう。その人が憎い敵とかでなく、見ず知らずのなんの利害関係もない人だとして。

でも、都会の真ん中で人が倒れていて、周りにもたくさんの人がいた場合どうだろう。

周りの人が助けるかもしれない、自分が進んで面倒に関わるのは他者(周りの傍観者)と比較して損をするのではないか、いろんな思惑がグルグルと発生して、人を助けたいという思いをかき消してしまう。

この場合は消極的な悪、正しいことを進んでしないということだけど、積極的な悪の場合も集団の力の方が強く作用するのではないだろうか。

例えば、一人で盗みをしようとする。心の中で葛藤し善と悪が完全に半分の力を持っているとする。完全にこの場合はどちらにも傾く可能性はあるが、内部で均衡が取れている。

しかし集団でいるときに、周りに堂々と悪いことをする人がいる場合、どうだろう?周りの人が悪いことをしていることに対し、自分がやらないことで損をしている、或いは周りに迎合できていないこと自体に焦りを感じるかもしれない。そうすると、一人で考えるよりも悪に偏る可能性が上がるのではないだろうか。

実際に心理学の実験でも、悪いことであっても周りの承認があるとやってしまう、ということが分かってるし、過去の様々な歴史もそれを証明している。

だから正しいことをしたければ、周りを見ないで自分の内側を見て、一人で決断した方がいいかもしれない。

あくまで私の仮説と体験談だけど、今まで重要な決断は誰にも相談したことがないし、それで困ったこともない。いつでも正しいことはあなた自身が知っているはずだろう。

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